札幌地方裁判所 昭和45年(わ)868号 判決 1971年5月10日
被告人 山谷豊彦
昭五・一二・一二生 無職
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は、
被告人は昭和四四年一二月二二日札幌市大通り西一三丁目所在札幌地方裁判所の公判廷において千葉寿夫に対する窃盗被告事件についての証人として宣誓のうえ証言した際『被告人千葉寿夫が昭和四一年四月二三日ごろ旭川市宮下通り八丁目旭川駅前バス停留所において熊谷太市から現金一三万円など在中の財布をすり取つた事実は全く知らないし自分が右千葉とともにすりをしたこともない』旨自己の記憶に反する虚偽の陳述をなし、もつて偽証をしたものである
というのである。
よつて按ずるに右公訴事実は、(証拠略)によつてこれを認めることができる。
ところで(証拠略)によれば被告人の右虚偽の陳述は検察官の
「あなたが山本やアベと一緒に昭和四一年の四月ころ旭川駅前のバスに乗ろうとしたようなお客からお金をすり取つたことがありますか。」
という尋問に対して被告人が
「ありません」
と答えたことから始まり、結局公訴事実にあるように偽証したものであることが認められるところ、検察官の右尋問は被告人にとつてまさしく「自己の犯罪事実」に関する尋問であり右犯罪事実については未だ公訴権の消滅していなかつたことは被告人の当公判廷における供述等によつて明らかであるから証人たる被告人は刑訴法一四六条、同規則一二二条により理由を述べて証言を拒絶できる場合であつたことは明らかである。
ところが前掲翻訳書によると被告人は検察官の前記同旨の尋問に対し当初「それについては全然ぼく言いたくありません。」と答えたのに、裁判官より「言いたくないという証人の気持わかりますけどね、証人としては言いたくないことでも聞かれたら言わなければなりません。そういう義務があります。」と証言を促がされ結局前述のようにすりをしたことがない旨答えたことが認められ、右の「それについては全然いいたくありません。」との被告人の答は証言することを拒む旨の意思表示であると解されるところ、被告人は証言を拒む事由を明示してはいないが裁判官は右すり事案の性質(被告人が共犯とされていることなど)及び質問の内容によつて被告人に証言拒絶権が存すると判断することは容易な筈であり(なお証人木山正博の証言によると裁判官は立会検察官に対し尋問前に被告人を当該すり事件で起訴する意思があるか否かを尋ねており検察官はその意思を明確にしなかつたことが認められる。)かかる場合には供述をしない理由を積極的に開示する必要もないと言つてよく、少くとも裁判官が証言を拒む理由を何ら釈明せずに証言するよう要求することは証言拒否権の行使を不当に妨げるものと言わざるを得ない。そうすると被告人の言いたくない旨の答えは証言拒絶権の行使として一応適法なものと言うべきであるから裁判官はその行使を許すべき場合であつたのであり、これを許しておれば本件偽証も行なわなかつたであろうことが十分予想されるのである。
而して証人が証言拒絶権を行使した場合には以後その証人に対して自己負罪事項につき証言を要求することができないことは明らかなところであるところ刑法一六九条が偽証罪の主体として処罰の対象とするところの「証人」とは法律上証言を要求することのできる者、即ち証人として証言をなすべき義務のある者に限られると解するを相当とし、従つて証人が証言拒絶権を行使した結果裁判所が供述を命じ得なくなつた証人を含まないと解すべきである。蓋し刑事訴訟法一四六条の保障する自己負罪事実についての証言拒絶権は憲法三八条一項に由来する国民の基本的な権利の一つであり、その権利の行使が裁判所によつて認められず証人が供述を強いられるが如き事態は稀有なことであつて刑法一六九条の予想する定型にあたらないであろうし、その結果証人が自己の犯罪事実について虚偽の証言をしたとしてもその証言は証拠とすることができない性質のものであるからである。
そうすると本件の場合被告人が公訴事実のように偽証をしたとしても被告人は刑法一六九条にいう「証人」ということができないから結局本件は偽証罪に該当しないものというべく刑事訴訟法三三六条に則り被告人に対し無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。